[chat face="1491074.png" name="ミケ" align="left" border="gray" bg="gray" style=maru] 食事は大事というけども[/chat]
[chat face="medical_yagi_doctor.png" name="ヤギさん" align="right" border="yellow" bg="yellow" style=maru]ここではそもそもの食事の意味について考えていきます。 [/chat]
[jin_icon_check_circle color="#1955A6" size="30px"]本記事の内容
- 食事は楽しみ
- 食事は栄養摂取
食事は生命維持に必要不可欠
食事・睡眠・運動は生命維持に必要です。そのなかで食事にスポットライトを当てて考えてみたいと思います。
好きな食べ物はありますか?
家族と食事をしますか?
食事は楽しみを生み出し、社会性も営みます。口から食べることは当たり前で、当然のことだと思っていませんか?
そもそも栄養摂取だけで考えれば点滴や胃ろうで済むわけです。生命維持に必要であることと生活の質を上げるための食事は似て非なるものだと言えます。
体力が衰えて自力で食事が出来ないとすぐに「点滴・胃ろう」などの栄養摂取をしますが、「最後まで自分で食べたい」という尊厳というか当たり前の感覚を得ているのでしょうか?
栄養摂取はすればいいのか?
食事の楽しみは味だけではないのです。
「こんなもの全部ペーストにして腹の中に入れたら終わりだ」というのは全く食事の楽しみをわかっていないのです。
目で見て、匂いを嗅ぎ、食感を楽しみ、味を嗜む。
口元まで運ぶまでの高揚感は食の楽しみをそそるものです。
すべてをペースト状にすると、見た目も美味しそうではなく、食感が損なわれます。「これは何を食べているのか?」「なんだかしょっぱいものだな」と考えながら食べるのです。
リンゴを食べるにしても、「リンゴの丸かじり」「カットりんご」「すりおろしたりんご」では味も食感もすべて変わります。それだけ、私達の味覚や触覚は複雑なのです。
食事を栄養摂取として捉える、楽しみの食事として捉えるのとでは提供方法がまるで変わってくるのです。
人に食べさせてもらうのと自分で食べるのはどちらがいい?
食事は、見て→口元まで運ぶ→咀嚼する→飲み込む(嚥下)に分かれます。
食事は認知動作の連続なので、きちんと食べ物を理解できなければ食べられません。
柔らかいもの、硬いもの、熱いもの、冷たいもの、汁物、ご飯、麺類など様々です。
口元に運ぶまでにどうやって食べるのか?というのを無意識に判断しています。
麺類→麺をすする動作
熱いもの→急に口の中に入れない。熱さをたしかめる。
冷たいもの→歯に沁みない様にゆっくりと
硬いもの→前歯で噛まずに奥歯で噛む
介助者(人に食べさせる)時には、熱さや冷たさや大きさ(一口大かどうか?)を確認しなくてはいけません。もちろん食べる相手が何を食べているのか?という認知をしなくては味を楽しむこともできないでしょう。
まとめ
食事は認知機能の連続である。
楽しみは人によって様々であり、味覚や嗅覚や触覚などの様々な情報の統合です。
「せっかく食べるのなら美味しく食べたい」「一人で食べるのは寂しい」と思うのは普通のことです。
作業療法士として食事の楽しみを提供するためには
①嚥下機能の評価 食事形態の評価
②介助方法の評価
③雰囲気作り
が必要だと思います。